登入南へ歩くことしばし、見えてきたのは小さな集落。
家が十軒そこら、寄り添うように建っている。
煙突からは白い煙がのぼり、子供たちが追いかけっこをしている。
平和に見えるが、依頼書の被害報告はここのことだ。「お~い、ギルドの人かい?」
声をかけてきたのは、腰の曲がった農夫。
顔色は冴えない。俺が頷くと、村人が集まってきて口々に説明を始めた。
「最初は豚だ。一昨日の晩にやられた」
「うちじゃ翌日に山羊がやられてな」なんとかしてくれ。
今にも、そんな言葉が出てきそうだ。それを調査しに、来ただけなんだが……。
そう思って、辺りを見渡す。……死骸がないな。やっちまったか?
「死体はどうしました?」
「血まみれで……いや、もう死骸は片付けちまった」はい、現場検証する前に証拠隠滅完了。
ありがちだ。村人にしてみれば当然か。
放っておけば腐るし、匂いが獣を呼ぶ。こっちとしては、「せめて骨くらい残しておいてくれ」と言いたいところだが。
「柵も壊されちまって……」
案内された家畜小屋をのぞく。
なるほど、木の柵が横倒し。
釘はまだ新しいのに、根元からへし折られている。俺はしゃがみ込み、折れ口を指でなぞる。
刃物じゃない。噛み跡もない。
力で押し倒した感じか……。つまり、何かデカいものが通ったってことだ。
さて、面倒ごとの匂いがしてきたぞ。まずは血痕。
……おっと、やっぱり残ってるな。
地面にこびりついた赤黒い染みを指先でこすってみる。
乾いてはいるが、まだ数日は経っていない。その近くに、毛が数本落ちていた。
山羊の毛より固くて短い。 色も違う。狼にしては短すぎる。
犬でもない。 じゃあ、何だって話だ。視線を落として、柵の外の地面を確認。
山羊の小さな蹄跡に混じって、別の足跡がある。
幅広で、爪痕が深い。「……野犬じゃねぇな。狼でもない」
この辺りでよく出る獣といえば大猪。
けど、あいつら家畜なんざ襲わない。草木や畑を荒らすのが専門だ。
山羊も豚も、食う習性はない。となると……。
溜息をひとつ。
「ワイルドボア……かよ」
猪に似た魔物だ。
体格は馬並みで、突進力は洒落にならない。 大猪と違って雑食、時には人間さえ襲う厄介者。村人たちに向き直って、仮説を告げる。
「結論から言うと、ワイルドボアの可能性が高いです」
俺がそう告げると、集まっていた村人たちの顔色が一斉に曇った。
そりゃそうだ。
普通の猪でも畑荒らしで厄介なのに、こっちは人も襲う魔物だ。「柵の周りに大きな杭でも仕掛けておいてください。突進を止めるしかないんでね」
一拍の沈黙のあと、誰かが小さく呟いた。
「ワイルドボアか……」
次の瞬間には「おい、みんなやるぞ!」と声が上がり、男衆が一斉に動き出す。
斧を担ぐ者、杭を運ぶ者、縄を引きずってくる者。
農民の切り替えは早い。 生き延びるためなら、当たり前か。俺はその光景を眺めながら、肩をすくめた。
「じゃ、ちょっと森の方へ見に行ってきます。夜までには完成させてください。あいつ、夜行性なんで」
村人たちが無言で頷くのを確認し、俺は腰の袋を締め直した。
さて、ワイルドボアならいいんだが……はぁ、いっちょ行きますか。
ギルドを出て真っ先に向かったのは道具屋。 扉を開けると、相変わらず渋い声が飛んできた。「また来たのかい」 「まあな。ちょっと追加でな。で、匂い消しと痺れ草、あるか?」 「あるよ……なんだ、ゴブリンか?」 さすがタマ婆。 伊達に年季は食ってねぇ。 俺の買う道具を見りゃ、相手が何かだいたい察してしまう。 この街でそういう芸当ができるのは、この婆さんくらいだろう。 代金を置くと、タマ婆が小さく鼻を鳴らした。「どうせまた無茶すんだろうが、まあ気ぃつけな」 「わかってるさ。俺の胃袋が先にやられる」 軽口を返して店を出る。 次の寄り道はテッタの食堂だ。 夜には戻りたいが、保証はない。 だったら、今のうちに弁当を調達しとくしかない。「弁当一つ、頼む」 カウンター越しに受け取って、つい口が滑る。「唐揚げ、美味くなってたぞ」 テッタが、にやりと笑った。「でしょ?」 その一言を聞きつけた客から「俺も!」「唐揚げ追加!」と注文が飛ぶ。 ……こりゃ売り切れだな。「じゃあね、アル兄! 毎度あり~!」 厨房の奥から飛んできた声に手を振って返す。 ……さて……行きますか。 ◇ ◆ ◇ 昼下がり、西門をくぐる。 門番に軽く手を上げて、そのまま街道を西へ。 川に架かる石橋を渡ると、遠くの地平線にうっすらと緑の塊が見えてきた。 あれが報告のあった西の森。 街道を進むたびに、森の輪郭が少しずつ濃くなる。 西の森
ギルドの扉を開けると、相変わらずの雑多な喧騒。 冒険者どもは昼間から酒をあおり、受付嬢はげんなりした顔で相手をしている……まあ、平常運転だ。 奥の部屋に入ると、マルセル課長が書類とにらめっこしていた。目の下のクマも健在。「戻りました」「どうだった?」「ワイルドボア三体、処理済みです……ただし、いくつか異常がありました」 課長のペンが止まる。 俺は指を折りながら、淡々と報告した。「一つ、集団行動していた。二つ、夜行性のはずが昼間に活発だった。三つ、そのうち一体は明らかな異常個体」 机に小瓶を置く。 中には赤黒い血と、布に包んだ金属片。「証拠はこれです」 課長が瓶を手に取り、眉をひそめた。「……またか」「昨日も似たような残骸があったでしょう? おそらく同系統です」 わずかな沈黙のあと、課長の口元がわずかに歪む。「あとでウィザーズに回しておく」 課長がそう言って、瓶を机の端に置く。 ……ん? なんか朝より顔が疲れてねぇか? 気のせいか?「課長、さっき、またって言いましたよね?」「ん? ……ああ」 課長が、ペンをトントンと机に叩きながら答える。「さっきナックがすっ飛んで帰ってきてな。西の森でゴブリンが見つかったってな」「ゴブリン? まあ珍しくもないけど」「偵察で六体だ」「……ふ~ん」
街道をトボトボ歩きながら、片手にテッタの弁当。 仕事帰りに食うメシってのは、やっぱ格別だな。 まずは、おにぎりをひと口。「……うまいな」 塩気がちょうどいい。 噛むたびに米の甘さが広がって、胃袋がやっと人間に戻った気がする。 次は唐揚げ。「……これもうまいな」 衣はカリっと、中身はジューシー。 テッタの飯は裏切らない。 戦いの後のご褒美ってやつだ。 しかも、前回よりも美味くなってる。 冒険者たちの胃袋を、掴んで離さないのもうなずける。 だが、弁当を食い終わる前にふと視線が袋へ向く。 中には南の森で拾った、あの黒焦げの金属片。 見なきゃよかった。 どうせ気になるに決まってんだから。 仕事終わりのいい気分が台無しだ。「……しゃーねぇ、ゼットの店に寄ってくか」 腹は満たされても、頭の中はモヤモヤしたまま。 こういう時の嫌な予感は、大抵当たる。 晴れない気分のまま、南門に到着。 見えてきたのは、いつも通りの門番二人。 槍を肩にのっけて、暇そうに立っている。「おう、アル。散歩は終わったのか?」 皮肉返しかよ。 俺が森で汗かいてた間、お前らは門で日向ぼっこ。 まあ、仕事だから仕方ねぇが。「ああ、散歩の後のテッタの弁当は最高だったぜ。あの唐揚げ、もう売り切れてるかもな」 にやりと告げると、門番たちの顔が微妙に引きつる。 昼飯前の兵士に
ワイルドボアは無事退治。 なんで調査員が戦闘してるんだっての……。 とはいえ、ここでのんびり感傷に浸ってる場合じゃない。 獣の血の匂いは、別の魔物を呼び寄せる。 俺は袋からタマ婆さん印の消臭粉を取り出し、死骸にばさばさと振りかけた。「さてと。こいつらの宴会場になられても困るんでな」 鼻にツンとくる独特の臭い。 これでしばらくは持つはずだ。 だが、こいつは一体なんだ? 手袋越しに毛をつかむと、びっくりするほど固い。 毛がまるで小さな棘の集合体みたいだ。 皮膚を押してみる。 弾力は普通の獣のそれだ。 外見はワイルドボア、だが何かが違う。「次に会ったら殴り殺すしかねぇな、こいつは」 半分自嘲で呟く。 そういう相手だった。 斬るより打撃だ。 血をチェックする。 指先で取って匂いを嗅ぎ、色を確かめる。 ……赤黒い。 普通の獣の鮮血とは違う。 目もまだ血走ったままだ。 こりゃ、下級冒険者じゃ、返り討ちもあり得るな。 中級クラスでも油断は禁物だ。 証拠はあったほうがいい。 小瓶を取り出して血を詰める。 蓋をきっちり閉め、袋にしまう。 これは、ウィザーズギルドで精査してもらう材料だ。 ……ふぅ、こっちは解決だな。 最後に仕留めたワイルドボアに視線を向ける。 家畜を襲ったのはこいつだ。 蹄の大きさと、ここまでの足跡が一致する。「犯人はお前だ!」 ……よし。 あとは、こいつを放置できるかって話だ。 血と死骸の匂いは、他の獣を引き寄せる。 集落のそばで、それは困る。 手際よく周囲を見回し、簡単な結界を描く。 地面に指で円を引き、魔力を流し込むだけの即席の拘束結界。 飛び火や、魔素の拡散を抑える程度のものだ。 結界のラインが微かに光るのを確認してから、着火。 拳大に丸めた乾いた枯葉と小枝を、火であおって炎を大きくする。 森の火は危険だ。 風魔法で炎の行き先を制御しつつ、結界の内側だけをじっくり炙る。 火を点けたのはいいが、燃え尽きる前にちょっと確認。 痕跡ってのはだいたい、煙と一緒に消えてなくなるからな。 結界の外をぐるっと回ると──まず目に入ったのは、木の幹に引っかかった毛。 さっき触ったガチガチの毛と同じ。 しかも
戦意は十分。 獲物を狙う赤い目が、俺を睨む。 ……ま、降参なんてしないわな。 巨体は粘着玉に足をとられながらも、強引に突進してきた。 よろけてるくせに、速度だけは落ちていない。 完全にブレーキがぶっ壊れた車だ。「よっと、すれ違いざま──もらった!」 刃を横に薙ぐ。 カツンッ! 確かに当たったはずなのに──「くっ!」 手ごたえが石壁みたいに重い。 剣が弾かれ、腕に痺れが走った。 普通のワイルドボアなら、肉を裂く感触があるはず。 なのに、こいつは鎧でも着込んでんのか、ってくらい硬い。 ……おいおい、おかしいだろ。 土煙の中で向き直り、再び睨み合う。 充血した真っ赤な目が、ギラつきながら俺を射抜いてくる。 どうやら、ただの馬鹿猪じゃ済まなそうだ。 ……考えてる暇はねぇ。「──貫け!」 即座に手を地面に叩きつけ魔力を流し込むと、地面がうねり、無数の土の槍が牙をむいて突き上がる。 巨体の下から一斉に、串刺しにする勢いで伸び上がった。 だが。 ガキンッ! 嫌な音とともに、槍は次々と折れていった。 あの巨体、皮膚が鋼鉄かってくらい硬い。 土の槍が弾かれて砕けるのを見て、俺の口から思わず声が漏れる。「……マジかよ」 直後、ワイルドボアが天を突くように咆哮した。 鼓膜が震え、胸まで響く。 圧が強すぎて、肺の奥がひゅっとすぼむ感覚すらある。「腹下は弱点だろうが……」 溜息まじりに呟くしかなかった。 森の中で火なんざ使えねぇ。 森ごと燃やしたら、依頼どころじゃなくなる。 ……じゃあどうするか……って、くっそ! 巨体が突進してくる。 俺はギリギリで身を翻した──はずだった。 ズザァッ! ワイルドボアが急停止。 土煙を上げて、あり得ねぇ角度で方向転換しやがった。 避けた俺の方へ、ほぼ直角九十度って具合にだ。「お前、頭いいじゃねぇかよ!」 冗談じゃねぇ。 馬鹿猪のくせに学習してんじゃねぇよ! とっさに腕をかざす。 空気が圧縮され、目の前に半透明の壁を展開させる。 ワイルドボアがぶつかった瞬間、衝撃が弾け、轟音とともに風圧が炸裂した。 ゴロゴロと地面を転がり、体ごと吹き飛ばされたが、なんとか受け流す。 ……お~、腰がいてぇ。 視線を外さず、立ち上がる。 耳鳴
胃がきゅっと縮む音が、自分で聞こえた気がした。 先頭の一匹が鼻を鳴らした瞬間、地面が揺れた。 ドドドッと一直線、丸太みたいな胴体が突っ込んでくる。「っとと!」 ほいっと身をひねって避ける。 掠める風圧で背中が熱くなる。 柵どころか、家一軒くらい簡単に持っていきそうな勢いだな、これ。 振り返る間もなく、二匹目が蹄を掻き鳴らす。 完全に突進モード。 ……匂いじゃねぇ。こいつら、こっちを見て狙ってやがる。「夜行性じゃなかったのかよっ!」 昼間からギラついた目で狙ってくるワイルドボアなんざ、教本に載せたら赤点食らうレベルのイレギュラーだ。 二匹目の突進も、ギリギリで横へ飛んでかわす。 足元の土がえぐれ、土煙が舞った。 ゴロゴロ、ゴロゴロ、だんご虫か俺は。 息をつく間もなく、三匹目と目が合った。 真っ赤に充血した眼。その視線が、獲物を射抜くみたいに突き刺さる。「やっべぇ」 背筋が凍った。 三匹目が吠えたかと思った瞬間、突進してきた。 さっきより速い。 やっぱり目がイカれてる分、加減を知らねぇ。「っと、こっち来んな」 避けざまに腰の袋から粘着玉をひとつ。 カランと投げつけると、ベチャリと音を立てて割れ、前足が地面に張りついた。「ふぅ……」 ……攻撃が直線的なのは変わらないか。 ワイルドボアの倒し方、その一。 突進を止める。 ああ、間違っても正面から止めるなよ。 パワーは馬鹿になんねぇ。 岩や、でかい木なんかを背にして、避けちまえばいい。 最初の一匹目が再び、鼻息荒く突進してきた。「そらよっと」 ドゴォンッ! という大音量とともに木に激突。 な? 簡単だろ。 が、喜んでる暇はなかった。 避けた先で、もう一匹が前足を振り上げて待ち構えていた。 でだ、ワイルドボアの倒し方、その二。 背後に回り込む。 出来ればでいいぞ。 無理して狙うな。 基本は一を繰り返せばいいんだが……。「めんどくせぇ!」 潰される寸前、身を低くして股下をくぐり抜ける。 俺は体制を立て直し、ワイルドボアを正面に捉える。「こいこい……」 振り向いたワイルドボアが、怒り狂って突っ込んでくる。「ご苦労さん」 それをさらりと避ける。 と、次の瞬間── ドガァンッ! 背後で鈍い